« 2004年3月 | トップページ | 2004年10月 »

2004年9月

2004/09/30

回想7

お盆も終わり、徳島の阿波踊りも例によって100万人以上の観客を呼んだようだ。
新聞に阿波踊りの写真が記事とともに載っていたが、伝統的とされる女踊りの格好で、案山子みたいな踊りが写っていた。変則的な踊りをやると受けるのでその瞬間を捉えたものだろうが、それを「恒例の阿波踊りが行われました」と紹介してしまうのはいかがなものか。まあ、伝統的も何も、あれも観光用に作られたものだけど。
阿波踊りの「えらいやっちゃえらいやっちゃ」は昭和初期にお鯉さんという芸者さんがレコーディングしたものが流行って観光客を呼び込むことに成功したわけで、元は盆踊りと
呼んでいたらしい。ただ、別の説ではすでに阿波踊りという呼び方はあったという話もあるそうでちょっと真相はわからない。
ただ、わかっていることは昭和初期の段階では「阿波踊り」というのは全国的には知られておらず観光の目玉ですらなかったということだ。根拠は何かというと、私の手元に昭和12年発行の「毎日年鑑」という当時の毎日新聞が発行した古い本があるのだが(祖父の家から発掘した)、これに全国の観光地の案内が載っている。当時のことなので朝鮮から台湾の温泉旅館の案内まで載っている。これの徳島県の項目には阿波踊りなど出てこない。十郎兵衛屋敷が載っているのにである。この4年後には真珠湾攻撃なので観光の呼び物として本格化したのは戦後のことではないだろうか。

徳島には「盆踊り」の他に「神踊り」というものがあって、地域の神々へ奉納する中世歌謡が各地で伝承されている。たとえば鮎喰川沿いに集落を上流へ行くほどにそれぞれ違う神踊りがあるということだ。これは『徳島県民俗芸能誌』という本(高くて立ち読み)に集大成されて紹介されている。阿波踊りにも神踊りの影響はあるのかもしれない。
また、海で遭難した漁師の霊を慰めるために始まったと伝えられる「津田の盆踊り」というものもあって、こちらの影響も大きいのかもしれない。
どちらにせよ、元々は今のような観光用のものではなくてもっと純粋に霊供養や神への信仰のための踊りだったということだ。

その盆踊りを初めて外国人として紹介したのがモラエスという人だ。この人は徳島で恋に落ち、徳島で骨を埋めた哀しく美しいエピソードをもつ人である。文筆家という点では同じなのにハーンのようには有名ではない。
モラエスは「徳島の盆踊り」という著作でこの霊供養の盆踊りを紹介した。

この著作を元にA・C・スティーブンは徳島に潜入し、この盆踊りの記録映画の撮影に成功した。
それが1965年の
「死霊の盆踊り Orgy of the Dead」
というドキュメント映画である。

この映画の全国上映での大ヒットによって、今の阿波踊りに全国から注目が集まるようになったのである。

踊るアホーに信じるアホー、同じアホなら踊らなそんそん

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/27

1時間の海釣り

何故か、家族皆午後はお休み。
用事をすますと、しんどくて家で死んでた。
このままではもったいないと釣りに行くか?と尋ねたのが午後3時半ぐらい。結局、息子と3時50分に出発。目指すは海釣り公園だ。海釣り公園は有料だ。なぜ、有料なのにそんなところへ行くかというと、安全面に気を使って鉄柵があるのだ。やはり5歳児がはじめて釣りに行くのなら堤防だと落ちないように注意を払う必要がある。気が小さい親なので釣りどころではなくなるだろう。経験をある程度積んでいたら話は変わってくるが。んでもって金を取ってるだけあって放流もおそらくされているし、そばには釣具屋がセットになっていて貸し竿サービスをやっているのだ。
というわけで、釣り竿を持ってない親子でも財布さえ忘れなければほぼ手ぶらで簡単に釣りが楽しめるのだ。
しかし、途中渋滞に巻き込まれ、現地についたのは午後4時半。お父さんはちょっとあせっていた。
すぐ、貸し竿。「サビキでセットでお願いします」というと本当にサビキセットをくれた。サビキの仕掛け1個+解凍済みのオキアミ+かごにつめるためのスプーン
入場料(駐車場、釣り代込み)で1000円(夕方なので割引済み)。貸し竿セット餌つきで1200円。あわせて2200円なら、まあよかろうという値段だ。車椅子も入れるトイレまで常備されているはレストランまであったりするのだ。
正確に時間はわからないが4時半すぎに釣りを開始。かごにオキアミをつめる。この作業は息子にやらせる。サビキは疑似餌がついているので子供が餌をつける作業で怪我をすることもない。というかいちいち餌をつけていたら10分はかかってしまうだろう。まさに子供のための釣りだ。。。。。ただし、魚がそこにいたらね。

リールをくるくると子供に回させポチャンと落とす。じーと待つ。時々浮き沈みさせる。上げる。またオキアミをつめる。その繰り返し。
いいかげん、子供が飽きてきた頃(そら飽きるわ)、ぐっと手ごたえが。すぐに子供に竿を握らせリールを巻かせる。このぶるぶるくる感触は子供が味わっておかねば。そして釣れたのは。。。
        アイゴ
釣具屋に貼ってあった張り紙にこのアイゴの写真入りで「毒があります。最近、よく釣れるから注意してね」と書いてあったやつだ。
それでも子供がはじめて釣った海の魚だ。毒があろうと雑魚だろうと。あとで調べると食えることは食えるらしい。
20cmぐらいの大物だ。写真を撮ってリリース。海に落としたら横に浮かんだので「だめか」と思ったがさすが野生児、すぐに縦に立って逃げていった。1時間経つとまわりは暗くなり明石大橋のライトの点滅、淡路島側のSAの明り、行きかう船の灯、そしてやけに大きく見える月が目立ちはじめた。あれだけいた人も少なくなってる。
撤収。手を洗ってトイレに入って出たら外は真っ暗だった。ちょうどいい撤収のタイミングだった。
結局1時間楽しんで1匹、毒魚だったが、ヨシ!である。
子供は今夜寝るまでアイゴを釣ったときの写真(デジカメのプリントアウト)をもってアイゴ、アイゴと言っていた。

こんどもこのようなサビキはつらい。ちょっと仕掛けをかえたいな。浮きをつけて、、、と色々考える親父であった。
、、、、おれってフライフィッシャーだったはずでは!!!!

F1000090_s.jpg


| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/09/26

回想6

高知県大豊町で碁石茶という乳酸発酵の固形茶を日本で唯一生産している農家がある。四川省、雲南省からビルマで同じような磚茶を生産しているそうである。四国の山間は日本で唯一、京大の文化人類学のチームが研究対象としたこともあることで有名である。高知の土着民間陰陽道「いざなぎ流」は有名だが、四国山間地には、本州とは独自の土着文化があったのだ。阿波(徳島)までのルートはいくつかあるが、谷間にある道ばかりでなくて、標高1000mを超える剣山山地の縦走ルートというものがあった。昔の四国の人間はこのルートを使って阿波と他の地との間で交流を持っていたのだ。しかし、長い四国内戦が続いていた80年代、主要なルートは封鎖されていた。そのため、この古道が連絡用(スパイ用)として再使用されたのだ。間者が剣山にまず登るには古くから信仰登山で有名な見ノ越はチェックが厳しいため、裏のスーパー林道から熊笹だらけの道を上る。山頂からいよいよ丸石山方向へ縦走し池田方向へ向かうのだ。しかし多くが途中で道をふみはずし、遭難し、たどりついた先で惨殺され、ほとんどが帰ってこなかった。当時の徳島は本州からの補給を受けることもできず(阿波踊りの観光収入は最大の外貨獲得の機会であった)、孤立した状態で他三県と戦いつづけなくてはならなかったのだ。また、徳島国臨時政府に対する内側から攻撃もあり、毎日が血の匂いがただよう学生生活だった。俺は力がなかったのでマンガを描いてアジビラを作るしかなかった。資料が戦後直後の杉浦茂の西遊記しかなかったため、必死に模写してガリ板でビラをつくった。
ビラの文面ははっきりとは覚えてないが「讃岐の民よ、四国ではアメリカの秘密爆弾のせいで米が作れなくなったため、小麦しか作れない。と騙されてうどんばかり食べてませんか?阿波には豊かな吉野川があるので米と肉を毎日食べることができます。」というような内容であった。
本州でまた徳島大学で楽しい平和な毎日を送れると信じて受験勉強をしていた日々。あの頃に戻りたい。目の前の海を越えるだけでその世界なのに。
、、、、、自由がほしかった。抵抗運動で我々が戦ったのはただそのためだけだったのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/22

回想4

大学時代は徳島に住んだ。徳島とは四国にある。昔、ギネスに載った長寿世界一の泉重千代さんという人が住んでいたところ、、、と思って受験したら、あれは徳之島という別の島だった。というぐらいに徳島は知らない土地だった。大阪に住んでてこれぐらいだ。今だに讃岐うどんは徳島だと思っている人もいるし、香川県と高松県というのがあるという人もいる。たぶん高知県と間違えているのだ。それぐらい世間に認知されてない島だった。
そう、島だったのだ!ほんの20年近く前までは。
何しろ本州とつなぐ橋が無かった。船か飛行機しかなかったのだ。定期船、飛行機はあったが観光客は何も気付かず行き来していた。しかしインフラの整備が遅れ、交通の便が悪いため訪れることのできる観光地は限られていた。観光客には何も気付かれないようにされていた。しかし徳島に住もうという人間への扱いは別だったのだ。しかしそんなことは知らない我々受験生はフェリーで徳島へ着いたのだ。するとそこには聞いたことのない言葉をしゃべり別の思想を持った人々が待ち構えていた。街の中心部に山がそびえていたが放送用の電波塔が乱立しており県営放送の電波および他地域からの放送の妨害電波が流されていた。街で購入したテレビはチューナーが固定され県営放送しか視聴できないようになっていた。しかし庶民は庶民で屋根に長いポールでアンテナを立て大阪からのTVを視聴していたようである。しかし、そういう家は一夜にして一家行方不明になることが多かったようであるが。
ここまで書けばわかると思うが徳島は四国という離島であったため戦後日本とは別体制で統治されていたのである。しかし四国以外の地域の日本人は巧妙に情報を隠されていたためまるで真実を知らなかったのである。「本土」から来る観光客には演技をすることが義務付けられていた。観光といえば阿波踊りであるが、重要な徳島の観光収入源であり外資を稼ぐために春から民衆は毎日借り出され練習を強制される。練習のグループは連と呼ばれ、それぞれの思想、階級、所属などで分けられており、県への不満分子を見つけ密告するシステムとして機能していた。しかしながらこのようなことを続けていてはいかに監視が厳しかろうが不満は出てくる。従って県民は県特産のスダチという麻薬作用のある柑橘類を食べさせられていた。魚のみならず味噌汁、ミネラルウォーターにもスダチを絞り毎日摂取しておりスダチなしでは生きていけない廃人にすることによって支配されていたのだ。
四国にはその名の通り4県ある。徳島は他3県とは険しい山で遮られており、孤島の中の孤島であった。主要な道にはゲートがあり封鎖されていた。無論、幕末に土佐の坂本龍馬が脱藩したような抜け道はあったので若干の人の交流はいまだにあった。しかし、それぞれ方言が違うのですぐ見破られる。高知の人間は水は飲まない代わりに酒を飲むのでばれる。香川の人間は米を食うふりをして自分で打ったうどんを食うのでばれる。愛媛の人間はポンジュースをついつい買い求めてしまいばれる。そうやってどれだけの人間が鳴門の渦に沈んでいったことか。なぜこんな四国内で内戦状態になっているのかというと経済の問題であった。経済状態が悪いと戦乱の世となってしまうのだ。本土は四国へのエネルギー、食料援助を制限していたため、小さな島国では全体主義体制の独裁者でクニを統治するしかなかったのである。エネルギー問題解決のため愛媛は原子力発電をソビエトからの技術供与で開発をしていたが、メルトダウンを起こしたという情報を最後にほとんど何も伝わらなくなってしまった。
大学では比較的自由な行動が許されておりサークル活動などもできた。マンガを描くサークルにも入っていたが、へたな作品を描こうものならしょっぴかれるためひやひやものであった。従って地下活動で描くしかなかったのである。当時はパソコンもプリンターもスキャナーもコピー機も販売禁止だったため、皆「ガリ板刷り」で同人誌を発行していた。必死の思いで闇輸入した杉浦茂本の可愛い女の子などをまねてロリコン絵などと呼ばれていたものである。
あんな暗い明日をも知れぬ社会にいた頃はこうして「本土」に帰れる日があろうとは思いもしなかった。
今や、「本土」いや本州とは3つも連絡橋が出来、自由に行き来できるのである。
これは市民の一斉蜂起がきっかけとなり(阿波事変)、手に入った自由のおかげなのだ。
しかし、この話は報道管制のために現在でもまったく伝わっていない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

牛乳

目の前にあるのはコンビニでさっき買った牛乳。
成分無調整3.6牛乳 生乳100%使用って書いてあるけど、どういう意味?
おなか壊さない牛乳もどきがあるからそれとは違いますということ?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/21

3連休最後はBBQ

DSC00496.JPG


3連休の最後は日帰りBBQだ。家族とだけ。
いつもの通りじゃない。車を買い換えたので(維持費がつらくなってきたため)、その車にキャンプ用具が入るのかどうかのテストも兼ねていた。もちろん第1目標は家族サービス。(家族サービスって家族と自分へのサービスだよね?違うの?)
日帰りBBQ程度なら問題なく入るが、これに一泊の荷物、テント、寝袋、タープ、着替えなどを入れるとなるとかなり厳しい。もしかしたら入らないかもしれない容量であることははっきりした。とりあえず後部座席には人は1人しか乗れない。それでもやばいかもしれない。うーん、、、恐れていた事実を現実に見てしまって少しショック。

まあ、とにかく天気は不安定ながらも晴れ間も続くようなので、キャンプ場へGO。
ここは滝が流れていてその下で野営ができるという良い条件のところなのだ。
さびついたキャンプ道具というよりBBQ道具をとりだし、炭をおこす。
炭おこしは新聞紙を丸めて、、、なんてしない。着火剤を塗って、、なんてしない。
ガスバーナーでいきなり炭をあぶる。これが一番早い。炭がはじけるので時々熱い火の子が飛ぶけど。
アウトドアとは文明の利器を使いたおして遊ぶものである。

少しずつカンを取り戻してBBQがスムーズに流れていく。ほら、準備でどたばたとか何を作るかでどたばたとかそういうのが無い。まあ、あれが楽しいのだが。子連れだしね。
、、、、、なんかたいそうなことをやってるようだが、単に炭に火をつけて焼肉をやったというそれだけの話だ。
珈琲沸かして飲んで終了。あとは近所の散策。滝めぐり。


帰りは姫路から明石まで高速道路100円でスムーズに帰り着く。しかし、電光掲示板に流れていたのは「神戸北から宝塚まで19km」「月見山から須磨まで4km渋滞」「垂水から、、、、、まで10km渋滞」とかそんなのばっかり。
明石から東方向へは渋滞地獄です」という表示だった。これだから9月の連休は、、、、、
でも信州とかいいんだよねえ。上高地、、、


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/19

僕とフナムシと海辺で

、、、無理があるタイトルだなあ。

今朝は寝苦しくすぐ起きてしまい、ほとんど徹夜明けの気分の悪さだった。起きてもすぐ眠れればいいが、一度目が覚めるとなかなか眠れない。目をつぶればつぶるほど疲労が貯まっていき、疲れるわりには眠れないので体力を消耗する。結局、午前6時にリビングに行き、エアコンのスイッチON。室温はいきなり29度と9月中旬とは思えない数字だった。冷房をかけたおかげでかえって日の昇った午前中を半分眠ってすごすことができたので助かった。
ニュースを見ると今日は昼は30度を越えて真夏日だったそうだ。

午前中、テレビで「アンパンマン」をやっていて子供が観ていた。流して聞いていたが、面白くて独りでウケてしまった会話。
アンパンマンと助けられた女の子の会話。

女の子「アンパンマン、、、、、あなたの顔、温かい」
アンパンマン「焼きたてだからね!」

、、、、、身も蓋もない返答だなあ。身はアンなのだが。


ちょっと買い物の調査で家族とドライブ。帰りに海へ行く。なんか海へ行ってばかりだ。朝日新聞のいしいひさいちの漫画「ののちゃん」のお父さんは何かというと海へ行って石を投げているが、彼と同じだ。
夕日の沈む突堤で釣りを楽しむ人々。こっちは釣りの道具は無いので見物だ。(川釣りの竿ならあるんですが)
下は小学生低学年から高学年の女の子3人が釣りをしていた。一人は突堤に座り片足を下に伸ばして竿をたれている。1人は椅子に座り、右に置いたハサミを時々使いながら仕掛けを結んでいた。完全にベテランの釣り師だ。かっちょええ。見とれてしまった。
これが男の子だったら「田舎のガキはたくましいのお」で終わりなので、フェミの人に怒られそう。(そうか?)

息子はフナムシを「ふなむしくん」と呼ぶ。海のゴミの掃除をしてくれている良い蟲と教えているので、印象は良いようなのだが、やはり怖いらしく、「遠いと親しみのある存在で近いと怖い存在」らしい。とにかく海へ来るとふなむしくんの名前を連呼するのだった。

釣りしたいなあ。みんなの釣果を見ると今ひとつだったが。もう9月中旬だしね。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2004/09/16

なぞの喫茶店

近所にはいい喫茶店がない。とんかつ定食が食えるような喫茶店ならあるが、美味しいケーキセットがちゃんとついていてコーヒーの味を楽しめる雰囲気のところがほとんどない。
今日は色々、コンビニ、100円ショップ、ドラッグストアと日用品を買い込んだあと、路地に入るとそこに見知らぬ喫茶店があった。色々旗が出ていて「○○入り珈琲」などと書いてある。(はっきり書くのは伏せます)
ちょっと怪しい雰囲気だったのでちらちら覗くと店の人と目が合ってしまった。普通はそこで終わると思うのだが、その店の人は出てきて「はいってきてください」とおっしゃったのだ。
うわー、喫茶店で客引きされちゃったよ。
面白いので中に入る。古い家を2軒つないでリフォームしたらしくかなりおしゃれになっている。全体的な雰囲気は「自然派」とか「ナチュラル」とかというイメージかな。この店の売りは飲食物であるには違いないのだが、その次が椅子やテーブル。全部竹でできている。そして竹がいかに人間の体にやさしいか、そしてこの椅子やテーブルがいかに人間に優しく設計されているかというような話をされる。そして店主は今まで色々な仕事をやってきたが、今こういう仕事をできるようになったのも「出会いだと思います」とおっしゃった。いい話をされているので、適当にあしらうことにした。説教くさくなってくると危ないので距離をおくのが大事だ。
しかし、この椅子というか竹でできたソファはかなり快適な代物だ。今私がほしいのはソファだ。しかし通常ソファではめしが食えない。普通ダイニングテーブルを用意するだろう。ダイニングテーブル+ソファ(応接セット)という組み合わせなんかしたら部屋がせまくなってしまう。ソファでいてご飯が食えたら何も文句はないのだ。
そしてここに一つの解答があった。実際にソファで珈琲も飲めるし、食事もとれるだろう。そしてソファでごろねもできる。実際はこの竹で受注生産で全部手作りしているこの製品を買うと、とっっってもお金がかかるようなので手をだせないが、、、、
ちなみに製造販売している店はここ
竹家具
うまく家具屋をさがせばこういうソファ+テーブルの組み合わせが見つかるかもなあ。以前、家具屋行った時にそれっぽいのがあったが、センスが悪かったのだ。安かったけど。需要がないわけではないと思うのだが。

さて、そうやって話を店主にあわせていくと(悪い癖だよ)、竹の棒を取り出してきてこれで体のあちこちをさするなりたたくなりするとストレッチや体がほぐれたりするというような話をしだした。気づけば店主も俺も立ち上がって竹の棒を持ってストレッチをしていた。。。。俺は珈琲を飲みにきたはずなのに!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/14

突然ジョギング

昨晩、深夜に何を思ったか玄関を出てジョギングした。スピードは完全にウォーキングだったが、本人は走ってるつもり。近くの公園は広いほうだが一周だと1kmほどなので数回廻った。これでは飽きてしまう。それでも汗を少しかいたし、気持ちよく疲れて眠れた。眠れなかったから体が救援信号出してジョギングする気になったのかもしれない。
間違いなく言えることはこれぐらいでは体重は減らないことだ。
んでもって1日経った今、少し足がだるい。乳酸がたまってるか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/12

播磨は明石の住吉神社

DSC00502.JPG

摂津の国の住吉の神様が播磨に行きたいとおっしゃったのでこしらえた神社だそうだ。
鳥居の前は海がざっぱーんとなってる。
彩色された狛犬がなかなか面白かった。
浜辺で貝殻集めにいそしむ。台風のあとのせいか、海の水は綺麗だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/11

豆乳

後発メーカー 大塚製薬の豆乳「スゴイダイズ」まるごと大豆飲料 だそうだ。
しかし、立派な調整豆乳だ。砂糖も入っているし水飴も入っている。

いわゆるそのまま豆腐ができますという豆乳ではない。
ところでそういう生の豆乳をこの間飲んだ。予想通りまずかった。
これを美味いといって飲んでいる奴は流行に踊らされて「肌にいいのよ」「大豆イソフラボンが女性ホルモンに似てるんですって」「ダイエットにもいいらしいのよ」とわけのわからん話を勝手に作り上げていってるやつら。

我々は堂々と「調整豆乳で結構!まずうまいのが一番」と言おうではないか!
大豆のしぼり汁がそのままでおいしいと言ってるやつにびんたをくらわそう。
そりゃあ、豆腐屋で作りかけのを工場で飲んだら美味いだろうよ!
DSC00501.JPG

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バッタ

庭にバッタがいた。ショウリョウバッタだ。
子供に教えるとペットボトルを持ち出したので入れる。もちろん空気穴を開けて。虫かごないからね。
かわいそうだからと夜になって逃がしてやる。

英名は oriental longheaded locust だそうだ。和名よりわかりやすいなあ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/10

散髪

sanpatu.jpg
散髪。
最近、1000円、1500円とかの安いところにカットのみをお願いしていたのだが、床屋にリラクゼーションを求めている自分としては正直いってフラストレーションがたまる一方であった。髪をきったという爽快感がまるでない。
きれいな店で髪を洗ってカットしてひげをそって顔をあぶらをとって肩や顔をマッサージしてもらうのが至福のひととき。
つうわけで今日は普通の床屋で散髪。やっぱりええわあ。2000円高いだけのことはある。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/09/09

自宅サーバーやりかけ

前に使ってた日記CGIが表示画像サイズに制限があって、今ひとつ不満でした。やはり大きく表示したい時もあったのです。別のCGIを探そうかなあというときにただの日記でなくて流行のブログにしたかったわけです。しかし、無料ブログはやはり画像サイズに制限があったり、なくてもブログの容量に制限があったりします。制限がなかったのがjugemというブログサービスだったのですが、トラブル多発、そして重い。今でもそうですが表示にえらく時間がかかる時があります。
だんだん欲がでてきて、自宅サーバーとかなら容量なんか気にしなくていいぞとまで思いはじめました。というのも家に液晶ディスプレイが潰れたノートPCがあって、これが液晶がダメなだけで本体は動作するのです。ですからこいつを自宅サーバとして使えばよいのではないかと考えました。そしてフリーソフトを使って自宅サーバーからブログまで動かすところまで解説しているサイトを見つけて、そのまま作業を始めてしまいました。
1)WWWサーバーのインストール
2)FTPサーバーのインストール
3)Perlのインストール
4)ダイナミックDNSの利用
これらの作業終了後、ブログツールのMovable Typeをインストールしようかと調べているうちに冷めてきました。(もっとはよ気付け!)

日記をやりたいのが元々なのでした。
日記を書くたびにHTMLをカリカリ→niftyの日記サービスを利用→日記CGIを利用
とやってきたのは「いかに楽に日記を書くか」ということだったハズ!それをこんなに手間隙かけてどうするねん。
大体、自宅サーバーにするとメンテナンスも全部自分。利用しようとしているノートPCがすでに壊れかけているので、バックアップとかもこまめにする必要もあるし、マジで日記を利用する目的からはずれている。この行動はおかしい!おかしいぞ、自分。

というわけで途中で作業を止めて、素直にココログを利用することにしたのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アクセス解析付きカウンタの設置

DSC00495.JPG

開設していきなりですが、カウンターを探しました。
カウンターの設置
を読むとアクセス解析付きのカウンターCGIが@homepage+ココログで使えるようで、これを使うことにしました。ブログにココログを選んだのがHPでも使っているniftyだからという理由ですから、やれることはniftyに集まっているほうがいいわけです。niftyでCGIを使うのはちょっと設定が面倒なので嫌いなのですが、ちゃんと例文もリンク先から見つけていきました。別に難しいことをわざわざしたいわけではないので、そのままマネすればいいのなら採用です。
そのCGIの名前はdopvStar*というものです。

これはアクセス解析がかなり高機能なのが良いです。無料カウンタを利用するのが一番簡単なのですが、バナーが出たり、高機能でもログを遡るのにかなり制限があるのしか見つけられませんでした。dopvStar*のようなものを利用できるのならそれにこしたことはありません。問題があるとすればniftyはcgiを動かすと重いということです。最近かなりマシになってきましたが。

設定例で参考というかそのままマネしたのが以下です。
dopvSTAR* を設置した
最初のほうだけ読んで簡単そうだといきなりダウンロードして設定の編集などをやっていきました。やがて次のような文章にぶつかりました。

dopvSTAR* は Jcode.pm に対応していますが,@homepage では Jcode.pm がありません.また Perl の標準ライブラリも使えないので Jcode.pm がそのまま使えません. そこで ActivePerl 付属の標準ライブラリを /cgi_bin/ の下に転送します.

何のことかわかりませんが、とにかくPerlのライブラリなどが必要なようです。ネット検索でActivePerlとJcode.pmを探しました。どんどんバージョンアップされてるようですでにJcode.pmはEncodeとかいうものに置き換わっているようです。置き換わったものより例文そのままのがほしい。上記に載っているバージョンの「ActivePerl 552 と Jcode 0.82」は入手できず「ActivePerl 5.6.1 と Jcode 0.87」でした。それは
http://www.ddsystems.info/ex/ex_cgi/100102.html に入手方法が載っていました。そいつをダウンロードしてきて、せっせと設定していきました。
動作検証で多少ひっかかりましたが、一応泥沼にはまることなく利用できるようになったようです。

ひっかかったのはパスワードファイルで、設定例だと自動的に作られるようなことが書いてありましたが、そうはならず動きません。空ファイルを用意しておくことですぐ使えるようになりました。

ちゃんと解析画面などが表示されるようになりましたし、カウンタもせっせと数字が上がっています。当然自分しかアクセスしてませんから、自分がカウンタをあげているんですが。
ここでいう泥沼とは一日どころか数日つぶれたあげく途中で投げ出してしまうような事態です。

しかし、ブログ導入の時に「簡単にブログを利用すべきなのに、めんどうくさい作業をやっていてはダメだ!」とココログを導入したはずなのに、結局カウンタやらアクセス解析でPerlのライブラリをダウンロードや設定してFTPでアップロードして、、、、なんてやってるのですから、何がなんだかよくわかりません。
わりとスムーズにはいったものの、やはり単純作業に結構時間を使ってしまいました。
こういう作業が好きな人はいいでしょうけどねえ。

というわけで、少しは苦労したのでメモです。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2004/09/08

*日記からココログへ

悩んだあげく日記をココログ利用にしました。画像が使える日記CGIに切り替えてからまだ1年しかたってないのに。
ただ、いつのまにかブログがやたら流行している、、、、、
色々、他の無料ブログサービスも試してみたのですが、どれも今ひとつ。例えばjugemを使ってみたら重いわ、サービス停止するわ、自分のは大丈夫だったけどデータが消されたところもあったそうで、、、無料はしょせん無料かい。
ココログも無料のは制限がありますしねえ。

いっそのこと自宅サーバーでやるかとWEBサーバーやFTPサーバーとperlのインストールまでやって「はっ」と我に返りました。単に日記を移行したいだけだったんだ!
これについては後で書こうかと思います。

結局、釣りの師匠のあるぽさんがココログを始めたと知らされて、流れに身をゆだねることにしました。隣でやってると自分もやりたくなるのは生まれつきです。

ではココログの設定をやらないといけないので、、、、、、、、あ、なんか写真でもつけときたいな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2004年3月 | トップページ | 2004年10月 »